なぜ働くのか?と、どんな仕事をすべきか?という問いは似て非なるものです。
コンテンツ
なぜ働くのか?
- なぜ働くのか?という本を読むと、人間としての成長のため、などと書いてあります。これはこれで納得です。
- また人間は、誰かに貢献したいという根源的欲求がある気がします。ヒトに必要とされているという自己承認欲求でしょうか?
どの仕事を選ぶのか?
- たまに、仕事は何をやってもおもしろい、と書いてあったりします。これは、半分Yesで半分Noな気がします。
- ヒトによってさすがに合う/合わないとか、得意/不得意ってあると思うので。
1.僕は、どんな事業で働くべきなのか?は、以下が重要だと最近思います。
3人のレンガ職人の話です。
- 「ここでいったい何をしているのですか?」
- A:「レンガ積みに決まっているだろ。朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、風の強い日も、日がな一日レンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり」
- B:「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね。」
- C:「ああ、俺達のことかい?俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」
これ、とても良い話だと思います。要は、自分がどの一部分のタスクを担っていようが、結局最終目的、すなわちビジョン=自分の実現したい世界に共感ができるのか?が自分のやっていることの意味合いを決めるのだと思います。
もちろん、自分が偉大な大聖堂を造ることに共感していないなら、やっても意味ありません。ここに自分が実現したい世界に資する何かを持ってくれば良いのです。
2.では、その事業において、どんな業務をやるべきなのか?
- さて、偉大な大聖堂を作るにも、レンガ積み以外にもいろいろな仕事があると思います。デザイン考えたり、内装作ったり、などなど
- さすがに誰が何をやろうとも、満足すべきである、と言う論理はないですよね。
- やりたい業務or得意な業務をやるべきです。
- でも、もしヒトに承認欲求や誰かに貢献したいという欲求があるならば、得意な業務にそれなりに収斂していくはずです。
- なぜなら、苦手な業務をやっても、そんなに他者に貢献できないはずなので
- あとは、金銭的報酬は関係ありますよね。家族養うなり、自分の欲しいものを買うなり、世界は綺麗事では回らないので。
3.どんな会社で働くべきか?
- 自分をその事業において、最も貢献できる業務にアサインしてくれる会社であり、
- それに見合った報酬をくれる会社であり、
- そして、ビジョンを実現できる可能性が高いと信じられる会社かな、と思います。
偉大な大聖堂の建築に携われても、結局何らかの理由でうまく行かないのであれば、やはり意味がありません。自分の貢献も実りません。
偉大な大聖堂の建築に携われても、自分が得意でない、仕事をやらせられ、低い報酬しかもらえないのであれば、それも不本意でしょう。
コメントを残す